タマヤだより Blog

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18.01.16

久米田池

本日は、久米田池の昔話です。

私も生まれてからずっと岸和田に住んでいますが初めて聞きました。
まだまだ知らないことだらけです。

久米田池の作成者「層 行基」というお方と
あともう一人「とよ」という女性もいました。
とよさんとは、田治米村の与兵衛五という村のお金持ちで、美しく、気立てのよい、お優しい娘様とのこと。
池を作るためには大勢の人が必要となり、和泉の国のあちこちから人々が集められ、毎日土を掘り、石を運び、池の土手を固め、危険の伴う力仕事に励みました。
でも、大勢の人夫たちをお茶やご飯を用意してくれる人がなかなか見つからず、大勢の方に尋ねるとみなさん「とよさんがいい」と口をそろえていうのでした。
とよさんに事情をいうと、とよさんは、「村のためになるなら」と快く引き受け、その日からとよさんは、人夫さんのお茶や食事の用意を日の出前から夜まで働き、帰りは星の光を頼りに家へ帰るという日々でした。
とよさんのおかげで人夫さんたちはきつい仕事に励むことが出来ました。
それから40年多くの人々の努力の甲斐があって、ついに久米田池が出来上がりました。
とよさんはこの40年という長い歳月を思い返しました。
ただただ村ため、村が潤うことだけを願い働き続けたとよさんに行基は、感謝の気持ちとお礼がしたいと言いましたが、とよさんはお断りをしたのです。
ただ、行基が二度、三度たずねてくるのでとよさんは「私にこの久米田池を下さい、私は池の主となって、後の世までこの池を守ります。」というや否や
たちまち黒髪は乱れ、口は耳元までさけ、目は爛々と輝き体にはうろこが現れ龍となり水が満々とたたえた久米田池の底深くに消えて行ってしまいました。
それからというもの「命を懸けて池の主になった」と話題になりました。
それから、不思議なことに四方の池の水が涸れても久米田池の水は涸れることなく
水をうるおしています。
とよさんは村人たちの大切な池を龍となって守り続けているのです。

この話を聞いてから久米田池に行くとどんな感じだったのかなと想像してしまします。笑
最近は寒くて行けていませんが、
もう少し温かくなってきたら運動がてら歩きに行こうかなと・・・