角食パンが四角くならない!? 国産小麦専門のパン屋になるまでの道のり
こんにちは!3代目の田中です。
前回ブログでは国産小麦専門のパン屋になったワケをご紹介しました。
今回はその続きです。
昭和50年代後半に始めた国産小麦のパン作りですが、商品化するまでには相当苦労したと聞いています。ようやく商品として売り出したのは、昭和62年になってからでした。
本朝食パン1609と甘酒種あんぱんの2品です。
そして次に挑んだのが、毎日お召し上がりいただきやすい角食パンです。
製粉会社さんと連携して粉の特性をお聞きしたり、自家製酵母だけでは安定しないので、当時はイースト菌も併用したりと、試行錯誤の日々が長く続きました。
記憶が曖昧ですが、正式に販売に辿り着いたのは、平成に入り数年経ってからでした。
製品化してからも安定化に向けた調整は続きます。角食パンなのに四角くならず、失敗して丸い形になっているものを当時はよく見かけました。
先代社長は、経営的にも続けるのか辞めるのか苦悩が続いたはずですが、改善を繰り返しながらノウハウを構築していきました。
徐々に国産小麦の商品が増えていった平成20年頃。今度は国産小麦の不作の年がありました。原料自体がないということで販売数を制限せざるを得ず、当時の販売店さんにはご迷惑をおかけしました。僕がタマヤパンに経理として入社したのがこの頃です。
僕が後を継ぐことになった10数年前は、全商品のうち、国産小麦と外国産小麦の比率は大体半分でした。
ぶっちゃけた話、経営状況は下降をたどっていましたが、当時のスタッフからも意見を聞き、タマヤパンが生き残る道は国産小麦しかないと決意。国産小麦専門のパン屋になることを内外に宣言しました。
昔から知っている方に「えらい道進むんやな〜」とお声をいただくこともありました。無理もありません。
当時、国産小麦の価格は上がってきており、過去の課題を知っている方からすれば、会社の存続すら危ぶまれたことでしょう。
経営者になって何の経験もない3代目の決断だとすれば尚更です。
それでも、先代社長と同じように、やれることを精一杯やる、をモットーに走り続けてきました。
その結果、自社の商品、さらにはPB商品の卸先様にも寛大なご理解をいただき、すべてのパンを国産小麦に変更することができました。僕が宣言してから約10年の月日が経っていました。
無謀ともいえる挑戦をなし得たのは、交渉にあたってくれた営業スタッフ、何度も施作を繰り返してくれた製造スタッフのおかげです。
日々試行錯誤を重ねてくれているこの素晴らしいスタッフこそ、本当の意味での我々の強みであり、今も商売を続けられている源泉です。
さて、その後は、というと。産地指定や生産者指定の小麦粉まで手に入れられるようになりました。商品化もされていてご存じの方も多いと思いますが、契約農家さん、大和田さんの存在です。
ーここで少し商品のご案内です。ー
以前のものより、さらにおいしくなるよう開発を続けていた『大和田さんの小麦のみ使用した角食パン』が、2月1日にリニューアル販売しました。ぜひ召し上がってみてください。
大和田さんとの出会いにもたくさんのドラマがありましたので、こちらはまた別の機会に!
ずいぶん長くなりましたが、原材料表示などをご覧になって問い合わせをいただくことも多くありますので、これまでの歴史も含めて書かせていただきました。
最後に、タマヤパンは国産小麦専門のパン屋です!