タマヤパンは私の祖父にあたる田中丈二が、終戦の翌年、昭和21年11月に大阪府岸和田市宮本町で創業しました。当時は配給で小麦粉が配られていましたが、その調理方法がわからずに困っている人がいることを知り、パンの委託加工業を始めたのです。その2年後には委託加工業から製パン企業となり、学校給食の指定工場にもなりました。昭和42年には現在の本社工場所在地に工場を新築しましたが、その後、大手パンメーカーとの大量生産の商戦が激化し、"町のパン屋さん" への転身を決意しました。この店舗は二代目である現会長の田中武夫が、大阪府の和泉府中駅前商店街に本店としてオープンしました。後に創業者が「このお店が今日のタマヤを築く基礎となった」と言っています。
私は2012年に三代目としてバトンを引き継ぎました。タマヤパンの原点は小さなパン屋さんですが、その後は食品メーカーとしてのパンメーカーへと転進しました。そして今年で、創業78年目を迎えます。これは今までタマヤパンに携わっていただいた方々、農家さん、小売店、スタッフ、そしてお客様。本当に数えきれない多くの方々に支えていただいたおかげです。この「人」とのつながりこそ、今のタマヤパンの財産です。今後はこの「人」と「人」との輪を広げ、さらなる発展へ、そして、100年企業を目標に進めていきたいと思っております。もちろん創業当時から現在まで受け継がれてきたパンづくりへの想い、お客様への想いは変わりません。これからも美味しいパンを皆様の毎日の食卓にお届けできるよう努めてまいります。
しかし、美味しいパンを皆様に毎日お届けするために大切なことがあります。その美味しいパンを作るスタッフたちの職場環境を良くしていくことです。昨今、何かと話題の『働き方改革』ですが、実は、僕自身跡を継いだ12年前からパンメーカーとしての自社の製造体制に疑問を感じ、目指すべきは週休2日で
ロングバケーションを取ることが出来るパンメーカーということをずっと言ってきました。その当時から、なかなか現実的には難しいということはありましたが、必ず達成しようという強い想いを持ち続け今に至ります。ロングバケーションは未だ達成はしておりませんが、2024年度より5日間の連続休暇を取得できるようにしました。今後も少しずつではありますが、労働環境改善を継続していきたいと思います。
代表取締役社長田中 優宏
パンのおいしさは、主原料である小麦粉に大きく左右されます。初めて国産小麦でパンをつくったとき、そのおいしさの虜になりました。一般的に国産小麦は、粘り気が少なくパンづくりに向かないとされています。それはあくまで、パンの膨らみなど、製造工程に影響するもの。おいしさを届けたい一心で、国産小麦の弱点を技術力で補う挑戦が始まりました。試行錯誤を繰り返し、最初の商品化までにかかった歳月は約10年。以来、国産小麦の割合を増やし、今では国産小麦100%で提供できるようになっています。苦心の末たどり着いた「日本のパン」のおいしさを感じてください。
日本ならではのパンを目指すうえで、酵母は国産小麦に次ぐ重要なテーマでした。日本には古くから優れた発酵技術があります。着目したのは、米と麹でつくる甘酒種の酵母。苦心の末、お米と麹を合わせ、1週間かけて育てあげる自家製天然酵母が完成しました。受け継がれた味は今でもタマヤパンの大きな財産です。現在使用しているお米は、兵庫県豊岡市の「コウノトリ育むお米」。野生復帰したコウノトリが住みやすい環境づくりの一環としてつくられる、無農薬栽培や減農薬栽培のおいしいお米です。どこか懐かしくてほっとするような格別な香りと風味が楽しめる、自慢の甘酒種です。
「白米のように毎日食べられるおいしいパン」を目指す過程で、添加物をできるだけ使わないパン作りを心掛けるようになりました。それは、添加物を入れたパンはどうしても飽きがきてしまうから。添加物を使えば保存が効く。製造時間が短縮できる。香りや味を後付けできる…。私たちはこれらの「つくる側の都合」を捨ててしまいました。添加物が登場してまだ数十年。体への影響は、正直私たちにもよくわかりません。よくわかっているのは、美味しさを優先するのであれば添加物は必要ないということ。手間も時間もおしまず、今日も一つひとつ丁寧に手づくりしています。